スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
愛する者に残したいもの
ヨハネ14:1~6

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとへ来ることはありません。


我らの救い主イエス・キリストは、七つのものを残してくださいました。

(1)「父の家」(天国)です。

14:2

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。


(2)「わたしの名」(イエス様のもの)を相続できるということです。

14:13,14

またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。


(3)「わたしの戒め」(生活の心得)。

14:15

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。



14:21

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します


(4)「もうひとりの助け主」です。

14:16

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。


(5)「わたしの平安」です。

14:27

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。


十字架の苦しみの中でも平安をお持ちになり、地上に残す者たちの行く末を思い計られました。

(6)「わたしの愛の中にとどまりなさい。」

15:9

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。


あなたを愛して、ご自身の命を捨てられたその真実なご愛を見つめて生きることです。

(7)「わたしの喜び」です。

15:11

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。


主イエスは、あなたの存在そのものを喜んでおられます。これらのことに心を留めて日々歩みましょう。
スポンサーサイト
あなたも明るい人になれる!
ヨハネ8:1~12

イエスはオリーブ山に行かれた。そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定めるものはなかったのですか。」彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」


このヨハネの福音書は、光と闇とのコントラストが描かれています。罪という闇と世の光なるキリストです。この婦人だけが罪人ではなく、我々みな神の前に罪を犯してきた罪人です。どんな罪人でも、世の光として来られたキリストを心に迎え入れると、闇から光に移されて、世の人々を照らす明るい人につくりかえてくださいます。それが、福音の力です。
私も私の親友もねくらでした。しかし、どうでしょう。キリストを救い主として信じたら、お互いがお互いにびっくりするほど変えられ、明るい人になったのです。あなたも、世の光なるキリストを信じたら変えられて、暗い気持ちの人に生きる希望をもたらすことのできるお役に立つ人になることでしょう。
この3つの「合う」で悩み多き人生を乗り切ろう!
ヨハネ16:33

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

イエス様は、悩み多き人生を送らねばならない我々に、このように生きなさいと勧めておられます。

(1)互いに仕え合って生きなさい。

ヨハネ13:14

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

このように勧められるイエス様ご自身が、しもべの姿を取って、まず弟子たちの足をお洗いになりました。

(2) 互いに愛し合いなさい。

ヨハネ13:34

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

主は、私たちの身代わりになって十字架に命を投げ出されました。私たちも、主の愛を受けた者同士、互いに愛し合って暮らしましょう。

(3)互いに支え合って生きなさい。

ヨハネ17:21~23

それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。


主は、私たちが仲良く暮らせるようにお祈りされています。「人」という漢字は支え合っています。我らも、支え合って暮らしましょう。
わたしは門です
ヨハネ10:9

わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。

こんな自己紹介を聞いたことがありません。イエス様はご自分のことを、「わたしは、門です」と言われました。イエス様という門を通って入りますと、3つの恵みをいただけるのです。

(1)救いを受けます。この「救い」というのは、永遠のいのちを受けると言うことです。

第一ヨハネ5:11~13

そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
私が神の御子を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

(2)安らかな心を持って生きることができるということです。ストレス、イライラがたまる時代、この安らかな気持ちで生きられるなんて嬉しいではありませんか。

(3)豊かな牧草を見つけることができるということです。つまり、充実した人生を送れるということです。牧草は、羊にとってなくてはならないものです。牧草は、生きる力を示します。主は我らに、日々、新しい力をお与えくださいます。
あなたを大切に思っていてくださるお方
ヨハネ6:1~13

その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

この出来事は、4福音書全てに記されています。よほど神は、この出来事を通して大切なことを教えたいようです。「あなたのことを大切に思ってくださるお方」の第一は、主は、喜んであなたを迎えられるということです。

ルカ9:11

ところが、多くの群衆がこれを知って、ついて来た。それで、イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。

イエス様の元に来た人々は、みなわずらわしい問題を抱えてそれを解決してほしいと思ってやってきていたわけです。それらの人々を皆喜んで迎えられました。第二は、あなたがひもじい思いをしないように思い図ってくださるということです。このひもじさは、腹が減るひもじさと心が病む辛さのことです。主は、両方の飢えを満たして、生き生きとした人生に変えてくださいました。
Copyright © 人生と聖書. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。