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この愛届きましたか?
ルカ2:1

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

親しい人からの心のこもったプレゼントは嬉しいものです。造り主なる神から最高のプレゼントが贈られてきました。救い主イエス様です。イエス様は、私たちの人生の様々な悩み、重荷から救い出してくださる救い主です。主は、「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と言われています。
イエス様は、死で終わらない、永遠の命をお与えくださる救い主です。ニュースキャスターの山川千秋さんは、病を通して、救い主イエスと出会い、信じました。永遠の命をいただいた喜びに満ちて、天国に帰っていかれました。その著書「死は終わりではない」に詳しく書かれています。
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どうしても必要なことはわずかです
ルカ10:38~42

さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

ベタニヤ村に、マルタ・マリヤ・ラザロという仲の良い兄弟が住んでいました。イエス様と12人のお弟子たちが訪ねた時の出来事です。マルタとマリヤは、主を喜ばせたいと料理をして待っていました。主が来られ、マリヤは、まず、聖書の話を聞くことを選び、マルタは、台所に行きました。そのうち、マルタは、自分だけが損をしているように思えてきて、主と妹に文句を言いました。そのとき、言われたことばが、「どうしても必要なことはわずかです。」 それは、

(1)優先順位を大切にしないと生活に混乱が起こるということ。

(2)生活の真ん中に、聖書をおくということ。なぜなら、みことばは、我らに命を与え、確信を与えてくれるからです。みことばを土台として生きるなら、苦難多き人生もクリアできます。
人生の海の嵐にあう時
ルカ8:22~25

そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに船に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。そこで、彼らは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」


私たちの人生に嵐が吹くときがあります。でも大丈夫です。すべてを支配されている主イエスが共におられるからです。そういうメッセージです。イエス様は、弟子たちに「さあ!向こう岸に行こう!」と言われました。向こう岸、つまり天国と受け止めてもいいと思います。私たちは、天国を目指して、人生という大海原にこぎだした舟人のようなものです。

(1)レッツゴー!と主が言われていることが安心のおおもとです。

(2) 突然の嵐にあったとき、ともかくも、主に「助けてください!」と叫ぶことです。主はその祈りに答えて、立ち上がって、嵐をしずめてくださいます。この主をどこまでも信頼してついてゆきましょう。
こんな父がいる
ルカ12:6~7

五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。


人間関係で傷つき、くじけそうになる私たちに、主イエスは「天にはこんな父がおられる」ということを教えてくださっています。

(1)一羽の雀にさえ心を留められる父がいる。雀一羽では、商品にならない値打ちのないものということです。

(2)あなたのことを片時も忘れない父がいる。「母親が、乳飲み子を忘れようか。その母親が忘れても、私はあなたを忘れない」と言われています。

(3)あなたのことを高価で尊いと思っていてくださる父がいる。できる、できないでなく、存在自体を喜んでくださるお方です。
至れり尽くせりの愛を受けた者として
ルカ15:11~24

またこう話された。
「ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『お父さん、私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。何もかも使い果たしたあとで、その国に大飢饉が起こり、彼は食べるにも困り始めた。それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。


父親にそむいて、自分勝手に生き、行き詰まってしまった息子を、この父親は、無条件に赦し受け入れ、再びわが子としての特権の、指輪を与え、共に生きるようになりました。この息子は、あなたのことであり、父親は、私たちの造り主のことです。この愛を受けた者として、どう生きましょうか。

(1)「この福音のためなら、どんなことでもします」という心意気で生きてゆきます。

第一コリント9:23

私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みを受ける者となるためなのです。

(2) 「私も、私の隣人を愛して生き抜きます」という心意気で生きてゆきましょう。

ヨハネ13:34

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

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