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耐え忍ぶ
ヤコブ1:12

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛するものに約束された、いのちの冠を受けるからです。

愛は全てのことを耐え忍ぶ、とあるが、短絡的思考の私には、心痛い言葉である。こういう短気な私でも、聖書が言うように、全てのことを耐え忍べるのだろうか、と考えてみました。
預言者たちの長い期間の忍耐と、ヨブの一度に受けた重圧の忍耐の結果を覚えるとき、あるいは、イエス様の我々に対する忍耐心と十字架の苦しみを耐え忍ばれた姿を思うとき、忍耐できるのではないでしょうか。

(ちょっと一言)

「叱責」と「怒る」とは違うのです。自分が腹が立つからと、感情に任せて言うことが「怒る」で破壊的です。相手が良くなってほしいと忠告することが叱責で、相手に反省を促すものです。
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愛によって働く信仰
ヤコブ2:14
 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。

 本物の信仰は、愛という形に現れてくる。行ないの面から自分の信仰を、吟味してみましょう。わたしたちは口先だけで愛を唱えても、空しい。真実な行ないをもって愛を示すことですね。100の愛の言葉より、1つの愛の実行です。

《ちょっと一言》

 自分が幸せであると感じている時、他人の不幸が見えなくなる時が多い。
 他人の不幸が見えなくなる時、人としての優しさを失っている時である。

 他者の痛みに鋭敏に心動く人となりたい。
見なさい
ヤコブ5:11
見なさい。耐え忍んだ人は幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

 このところで聖書は、我々に4つの「見なさい」で注意を促している。

1)利己主義によって腐敗した社会を見なさい。 
金銭や物質だけが目的で生きている人への警告がある。そのような人は、「殺される日」も知らないで、肥っている動物に等しい。 

2)ふたたび帰ってくる主を見なさい。
農夫たちが、必ず降る二度の雨期を待って労働するように、必ず再臨して善悪を正して下さる時を待ちなさい。

3)神の聖徒でありながら聖徒たることに矛盾している聖徒を見なさい。
裁き主が戸口に立っているのを意識して、兄弟愛の精神で生きましょう。
   
4)苦しみを受けつつも、勇気を持って不動の真理に立つ者の姿を見なさい。
頂言者たちと、ヨブを見よ。

《ちょっと一言》

ピリピ 2:16
命の言葉をしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。

 万一あなたがたが無力であるがゆえに、人類の為に何の貢献もできないと思うならば、人に会うごとに、微笑みで迎えてあげなさい。微笑みは大きな財産であり、また力であります。   内村鑑三
祈りの生活
ヤコブ5:16
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

 愛の生涯を送りたいと思っている人は、祈りが不可欠です。そして、特に祈りの生活では、戸を閉めて祈ることが大切
です。それから、祈りが答えられる為に気を付けておきたいことは、隠している罪を、早く神に告白して、神との関係を正しくしておくことです。
 次に、どんなことでも、事毎に祈ると言うことです。
 そして最後に、祈りは、すぐ慣れやすく、飽きやすいものですから、祈り続ける根気が必要です。
 主は、その求めの切なるによりて笞えて下さいます。

       《ちょっと一言》

箴言4:23
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれからわく。

心の歪みは運命ではなく、本人自身の問題である。 シェイクスピア

 自分の罪は、親のせいでもなく、世の中のせいでもなく、自分の内にある自我のせいである。せめて良心的に生き抜きたいものである。
失敗からの学習
ヤコブ3:2

私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。


ヤコブは、ことばで失敗をしなかった人は、一人もいないと言っている。言い過ぎてしまったとか、言わなければよかったとか、皮肉なことばをチクリとか、悪口、陰口、オーバーな表現をついついして自慢していたりです。
 言葉だけの失敗に済みません。他に、多くのことでも失敗したり、過ちを犯してしまいます。
 人間として未熟であり、欠けの多い私はよく失敗をする。神を信じるものにふさわしくない思い上がった態度で人を傷つけてしまう。あの表現はまずかった、あの時は心配りが足りなかった、と落ち込むことが多い。
 聖書は失敗について何を言っているのだろうか。
その失敗を自分への戒めとして自己吟味し、反省して学び、必要ならば傷つけた人にあやまり、神の前にその心が整えられ、深められていくことであると教えているように思える。聖書は、「失格者となるな」と書いてあるが、「失敗をするな」とは書いていない。
 私たちの弱さをよくご存じの神は、その失敗を学習して学び、やり直す向上心(上を向く心)を喜ばれると思う。
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