スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
イエスを仰ぎ見るべし
ヘブル12:2

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。


私たちの罪深い行為は、全て心の表れであります。もし、私たちが本当にきよい生活をし、思いやり深い人になりたいという渇きがあるなら、きよい生涯、愛の生涯を全うされたキリストを常に、心の目で見つめておくことだと思います。そのときに、聖霊の働きによって、栄光から栄光へと、キリストの形まで変えられてゆきます。

〈ちょっと一言〉

心が怠け者の人は、伸びない。いつも楽な方へ流れてゆくからである。反対に、心が注意深い人は、成長して立派な働きをする人になれる。
スポンサーサイト
先に逝った方の、この地上に残せし人への思い
ヘブル411:13~16

これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。


人は生まれ、山あり谷ありの人生を送り、やがて後の世に行かねばなりません。我々より先に逝った方の、この地上に残せし人への思いは、いったいどんなことでしょうか。

(1)「また会いたいね。」このヘブル書11章に登場する人々は、信仰の人として生き、死にました。天の御国でまた会おうと我々を待ってくれています。

(2)「仲良く暮らしてほしい」ということだと思います。

(3)「どんなに辛くても苦しくてもくじけないで生き抜いてほしい」ということだと思います。たった一人しかいない自分、たった一度しかない人生を諦めないでゴール目指して歩んでまいりましょう。
敵は本能寺にあり
ヘブル12 :5~11
そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。
「わが子よ。
主の懲らしめを軽んじてはならない。
主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、
受け入れるすべての子に、
むちを加えられるからである。」
訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、ほんとうの子ではないのです。さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

 自我が強いということが、すべての災いの種である。いじけたり、開き直ったり、言い訳したり、反発心、我がままの心が問題である。
 この自我城を崩す為に、神は懲らしめを与えられる。それは我々の益の為である。

《ちょっと一言》

 「死ぬことなしに生きえない。捨てることなしに得られない。これが信仰の真理である。」と 榎本先生は言われたが、死ぬとは、神を第一とし神を愛していくこと、捨てるとは、自分の思い、自分の主張であると思う。


 楽しき心は、すなわち、私を離れた心   八木 重吉 
主が約束された天国
ヘブル10:19~25
 19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。
20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
21 また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。
22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようでありませんか。

 イエス・キリストがこの世に来られた目的は、ご自分を信じる者が永遠の命を持つことでありました。その冠を失って滅びに行かないために心がけること。

(1) 真心から神に近づこう。(22節)
    聖書をよく読んで聴従すること。

(2) 信仰告白を保ち続けること。(23節)
    どんな時でも、イエスを主と告白した生活をすること。

(3) 愛と善行に励むこと。 (24節)
    神が惜しむことなくそのひとり子を賜った愛の広さ深さを覚えながら、感動して生きること。

(4) 集会を忠実に守ること。(25節)
    主の名によって集まり、たとえ少人数でも、そこで主を賛美し、祈り、聖書を読むこと。
 
 これらを忠実に守っていくと、天国はあなたのものです。
有難い事
ヘブル12:24
新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。

 人は、弱く、罪深い者ですから、いくどとなく罪を犯してしまいます。意識しながらも、偽りを言うし、心の中で、裁いていたりねたんでいたり。けれども、有難い事に、私たちの「過ぎ越しの子羊なるキリスト」がほふられてくださいました。その血が我らをきよめ続けていてくださいます。

ヘブル12:24
to Jesus the mediator of a new covenant, and to the sprinkled blood that speaks a better word than the blood of Abel.

キリストの十字架で流された血が、ものを言っていると現在形で書いてあります。我らの罪を、注がれ続けている血が、清め続けてくださり、「この人の罪の罰は、私が代わりに受けました」と語り続けてくださっている。
Copyright © 人生と聖書. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。