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マイ・ホーム
黙示21:1~8
 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下ってくるのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。しかし、臆病者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

 私達の心には、苦しみのない永遠の居場所というものに対する聖いあこがれというものがある。
 死も悲しみも叫びも痛みもない、そんな所に住みたいと強く思う。
 神は、そういうすばらしいホームを天上に備えて下さっていると、聖書に記してある。
 私は、やがてそのマイホームに帰ってゆくことが出来る日を楽しみにしています。
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人生という巻物
黙示5:1~5

 また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と言っているのを見た。しかし、天にも、地にも、だれひとりその巻物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。巻物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので、その巻物を開いて、七つの封印を解くことができます。」
 御座に座っておられる方の右の手に、巻物が握られていました。神は、3つの巻物を握っておられます。聖書と大宇宙とあなた自身です。黙示録の人生観は「一巻の巻物のようなものである」ということを教えていると思います。人生は、一望のもとに見える平面的なものではなく、予測のつかない不可解な巻物だと思います。
 しかし、はっきりとわかっていることは、全知全能全愛の神の御手に、それが握られているということです。そこに、安心が生まれます。
 二つ目に、はっきりわかっていることは、その巻物は、裏も表も文字が書いてあったということです。これは、逆境も順境もみな神の支配の中にあり、すべてに意味があるのだと教えています。神は、万事を働かせて我々の祝福と変えてくださる方です。信仰とは、この人生の意味を汲み取る力だと思います。

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