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松田猛先生
第一テモテ1:15

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

 松田先生は、酒飲みの父親が嫌で、高校を出ると家を出て、お坊さんになる為に浄土真宗の学校にはいった。そこで、教授に「人間、死んだらどうなるか」と問うたところ、「死んでみないとわからない。極楽があるのか、天国があるのか、私にはわからない」と言われたそうで、大変空しくなり、目的がなくなった。そんな時、クリスチャンの友達から手紙が来て、聖書を読んで、教会に行って下さいとあったので、試しに出掛けてみると、そこでイエス様に会い魂に安らぎがきたそうです。長年、仏教徒であったおかあさまも救われ、神様の恵みの大きさを語って下さいました。

(ちょっと一言)

ヨハネ20:20

弟子たちは、主を見て喜んだ。

松田先生が、こう言われた。「私は、自分の所属する団体の教会や他の教会にも話しに行きましたが、この教会に来て初めて、ここにイエス様が居られると強く感じました」と。
 これは何よりも嬉しい言葉だと思いました。イエス様が居られると強く感じる、そんな教会を目指しているからです。
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自分作り
第一テモテ4:15-16

これらの務めに心を砕き、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。

聖書は、自分をみがくように奨めています。この自分作りは一生です。ではどのように自分を躾けていけばよいのでしょうか。

(1)発想を転換します。1時間遅れると聞いた時、デボーションの時に

(2)違いを受け入れる。自分と違う音色を出す人を受け入れる。  

(3)周りや相手のせいにしない。自分を磨く鍛錬の場と時とする。

(4)失敗を恐れないで、良かれと思うことを、こつこつする。   

(5)赦し続けてゆくことです。主は、十字架で無制限に赦して下さった。

(6)あきらめないで、工夫してみることです。    

 桃栗三年、柿八年。自分作りは、一生です。
確実である
1テモテ1:15

「キリスト・イエスは、罪を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。わたしはその罪人のかしらです。

 この世のことは、時と共に変わり、不確かなことが多い。地位も財産も家族も健康も自分も絶対的とは言えない。だから、不安である。恐れがある。けれど、偽ることのない神が真実なことを伝えてくださっている。

① イエス様は、罪人を救うために来てくださった。
② 信心の鍛錬が万事に益である。(1テモテ4:8~9 ー 注1)
③ 愛なる神のみ手から試練が来るのであり、それは我々の益になる。(IIテモテ2:11~12 - 注2)
④ 主のしもべとして喜んで仕えてゆく人は、決して報いにもれることがない。(テトス3:8 - 注3)

 これらの真実なみ言葉を土台として生きる人は、人生の勝利者となれる。

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