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すすんで灯りをともしましょう
マタイ5:14~16

あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。


暗い暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをともしましょう。どんな灯りをともせばいいのでしょうか。

(1)平和を作り出してゆくという灯りです。

マタイ5:9

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

イライラがつのる世の中ですから、平和を作り出してゆく人が必要なのです。

(2)人に与えてゆくという灯りです。

使徒20:34~35

あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

なぜ、与えるほうが幸いなのでしょうか。それは、天に宝を積むことになるからです。天の父なる神から、豊かな報いがあるから幸いなのです。与えるものは、物やお金だけではありません。親切な言葉、重い荷物を持ってあげる手、わからないことを教えてあげる知識、困っている人のために祈る祈りの膝。あなたのことを受け入れているよというほほえみ。
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こんなふうに生きられたら幸せになれる
マタイ5:3

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

世の救い主として来られたイエス様は、幸せについて語られました。心が神の方を向いている人は、天の御国の義・平和・喜びを得るのです。それが、人の真の幸せだと語られました。では、どう生きたら、主の言われるような幸いをつかむことができるのでしょうか。

(1)幸せのハードルを低くしておくことです。衣食あればそれで満足しなさい。

第一テモテ6:7~8

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。


(2)我々をいつも変わらない愛で愛してくださる変わらない神を見つめて暮らすことです。

エレミヤ31:3

主は遠くから、私に現れた。
「永遠の愛をもって、
わたしはあなたを愛した。
それゆえ、わたしはあなたに、
誠実を尽くし続けた。

最も大事なこと
マタイ7:7~11

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

人には、それぞれ大事なものがあり、その大事なものを大事にされてきたと思います。聖書は、私たちに、何が一番大事なものかを教えています。
一つ目は、あなたの命は、造り主によって生かされている命であるということです。エゼキエル18:4で「すべてのいのちはわたしのもの」と神は言われています。
二つ目は、永遠の命を持っているということです。長崎二十六聖人の殉教の姿を見ると、そのことがよくわかります。
三つ目は、イエス・キリストご自身が最も大事なお方です。ヨハネ5:39~40を読むと、聖書は、イエス・キリストについて書かれていることがよくわかります。イエスを持つものは命を持つからです。

ヨハネ5:39~40

あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。

あのダビデ王も、詩篇16:2で、次のように歌っています。

詩篇16:2

私は、主に申し上げました。
「あなたこそ、私の主。
私の幸いは、あなたのほかにはありません。」

先駆者
マタイ26:31~46

そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。
それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈っておられた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」


「先駆者は殉難の道を行く」と言われているが、まさにその通りで、真理を守ってゆくところには必ずと言っていいほど、迫害、嫌がらせがある。この世の力は強く大きいから、くじけそうになる。だからといって、世と妥協していったら、最も弱い人にそのしわ寄せが行くのです。まずあなたが、私が、その防波堤になりましょう。

〈ちょっと一言〉

もう故人ですが、その人が腸ガンのため腸の3分の2は使えなかったとき、「まだ3分の1が使えますから感謝です」と言われ、「私は病身ですが病気ではありません」と言われたそうです。そうです。心まで病気になる必要はないのですね。
黄金律
マタイ7:12

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

自分がしてほしいことは、相手も、そう望んでいるのです。自分が傷ついたことは、相手も傷つくのです。
この黄金律を守るために、
1)心の日記帳に痛みを刻んでおく
2)孤独の場を作る
3)注意深く聞く
4)受けた恩をいつも覚えておく
これらのことを覚えて、日々実践してゆきましょう。

(ちょっと一言)
ある本に、バベルの塔を建設していた人々の心の中を、傲慢と利己主義が占領したとき、言葉に混乱を起こし相通じなくなり、その企ては崩壊したと。現代でも、同じ日本人でも傲慢と利己心を持って対話しても通じないのは納得できる・・・と。気をつけたし。
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