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三つの「してくださること」が有り難い
詩篇23

主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


人生には辛酸が多いです。けれど、天地の造り主が、我々を、こういうふうに守ってくださるから、乗り越えられます。

(1)我々の良い羊飼いとなってお世話にしてくださるから有り難いです。どんなふうにお世話してくださるのでしょうか。それは、緑の牧場に伏させてくださる恵みです。これは、充実した人生に導いてくださるということです。それから、憩いの水のほとりに伴ってくださるということです。これは、心安らかに生きられるということです。

(2) 一生、共に歩んでくださるから心強いです。我々が一番心細く思う、死の陰の谷を歩むときにもです。だから、有り難い気持ちで一杯です。

人生に辛酸多し、されど神は愛なり。
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涙を越えて
詩篇121

私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、
あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、
まどろむこともなく、眠ることもない。

主は、あなたを守る方。
主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、
夜も、月が、あなたを打つことがない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、
今よりとこしえまでも守られる。

 
私たちの人生には、嵐が吹くときがあります。辛い涙の谷を通るときがあります。しかし、恐れないでください。愛に満ちた神が、困難とともに、困難を乗り越える力を与えてくださるからです。私たちの助けは、天と地を造られた神から必ず来ます。神は、困難を通して三つのことを教えてくださいます。

(1)この世のものは、みな過ぎてゆく一時的なものです。だから、永遠に続く天国を慕いなさい、ということです。

(2)その困難によって、私たちの品性が培われてゆき、豊かな稔りある人生につながってゆけるということです。

(3)その苦しみを通して、神が身近になってくるということです。
あなたもイキイキした人になれる
詩篇52:8~9

しかし、この私は、
神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。
私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。

私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。
あなたが、こうしてくださったのですから。
私はあなたの聖徒たちの前で、
いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。

ダビデは、ドエグという人物の悪意ある告げ口によって、窮地に陥りました。ダビデは、動揺しました。神との交わりの中で、オリーブの木を示され、力づけられたのです。オリーブの木のようにいつもイキイキした人になるために。

(1)どんな時にも神の恵みにより頼んで生きるということです。

詩篇52:1

なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ。
神の恵みは、いつも、あるのだ。

詩篇52:8

しかし、この私は、
神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。
私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。

(2)神に感謝して生活することを心がけていたということです。

詩篇52:9

私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。
あなたが、こうしてくださったのですから。
私はあなたの聖徒たちの前で、
いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。

(3)どんな時にも神が働いてくださることを待ち望んで生活することです。

詩篇52:9

私はあなたの聖徒たちの前で、
いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。


ダビデは、この3つのことを心に留めて進んでいきましたから、この窮地を乗り越えてゆけました。
うなじのこわい民
詩篇106:13~39

しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、
そのさとしを待ち望まなかった。
彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、
荒れ地で神を試みた。
そこで、主は彼らにその願うところを与え、
また彼らに病を送ってやせ衰えさせた。

彼らが宿営でモーセをねたみ、
主の聖徒、アロンをねたんだとき、
地は開き、ダタンをのみこみ、
アビラムの仲間を包んでしまった。
その仲間の間で火が燃え上がり、炎が悪者どもを焼き尽くした。

彼らはホレブで子牛を造り、
鋳物の像を拝んだ。
こうして彼らは
彼らの栄光を、草を食らう雄牛の像に取り替えた。
彼らは自分たちの救い主である神を忘れた。
エジプトで大いなることをなさった方を。
ハムの地では奇しいわざを、
葦の海のほとりでは恐ろしいわざを、
行われた方を。
それゆえ、神は、
「彼らを滅ぼす」と言われた。
もし、神に選ばれた人モーセが、
滅ぼそうとする激しい憤りを避けるために、
御前の破れに立たなかったなら、
どうなっていたことか。

しかも彼らは麗しい地をさげすみ、
神のみことばを信ぜず、
自分たちの天幕でつぶやき、
主の御声を聞かなかった。
それゆえ、主は彼らにこう誓われた。
彼らを荒野で打ち倒し、
その子孫を国々の中に投げ散らし、
彼らをもろもろの地にまき散らそうと。

彼らはまた、バアル・ベオルにつき従い、
死者へのいけにえを食べた。
こうして、その行いによって御怒りを引き起こし、
彼らの間に神罰が下った。
そのとき、ピハネスが立ち、
なかだちのわざをしたので、その神罰はやんだ。
このことは、代々永遠に、
彼の義と認められた。

彼らはさらにメリバの水のほとりで主を怒らせた。
それで、モーセは彼らのために
わざわいをこうむった。
彼らが主の心に逆らったとき、
彼が軽率なことを口にしたからである。

彼らは、主が命じたのに、国々の民を滅ぼさず、
かえって、異邦の民と交わり、
そのならわしにならい、
その偶像に仕えた。
それが彼らに、わなであった。
彼らは自分たちの息子、娘を
悪霊のいけにえとしてささげ、
罪のない血を流した。
カナンの偶像のいけにえにした
彼らの息子、娘の血。
こうしてその国土は血で汚された。
このように彼らは、
その行いによっておのれを汚し、
その行いによって姦淫を犯した。


聖書を読むとき、人の話を聞くとき、上の空では、霊的な成長はできない。いつも我がこととして学びたい。
自分は強情な者だと認めていないと、主から、「いつもあなたがたは不信の民であった」と言われると、そんなことはないと反発を感じるのではないだろうか。
自己の真相を、もっと、もっと深く見つめる者でありたい。

(ちょっと一言)
―神の御前に価値あるもの―
第一ペテロ3:3~4

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人柄を飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。


商品でも、外見はおいしそうに見えても、中身がまずかったら、受けるショックは大きい。人柄でも、外面的な美しさより、内面的な美しさ(柔和さ、敬虔さ)の方が貴重である。
内側を整えず、外側ばかりを着飾ると軽薄に見える。内にあるものが外ににじみ出ることを覚えて、心の中の隠れた人柄をきれいにしたいものですね。
ダビデの人生に学ぶ
詩篇16

神よ。私をお守りください。
私は、あなたに身を避けます。
私は、主に申し上げました。
「あなたこそ、私の主。
私の幸いは、あなたのほかにはありません。」

地にある聖徒たちには威厳があり、
私の喜びはすべて、彼らの中にあります。
ほかの神へ走った者の痛みは、
増し加わりましょう。
私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、
その名を口に唱えません。
主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。
あなたは、私の受ける分を、
堅く保っていてくださいます。

測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
私は助言を下さった主をほめたたえる。
まことに、夜になると、私の心が私に教える。
私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、
私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、
私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。

まことに、あなたは、私のたましいを
よみに捨ておかず、
あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
あなたは私に、いのちの道を
知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち、
あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。


神にことのほか愛されたダビデは、神を中心に人生がまわっていました。その熱き思いが、詩篇16:8です。

詩篇16:8

私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、
私はゆるぐことがない。


(1)いつも主を前において生活していました。それゆえに、いかなる困難、問題が起こってきても、最終的には、立ち上がることができたのです。

(2)いつも自分の罪を目の前において生活したことです。だから、神の前に謙遜に、人に対しては寛容に歩めたのではないでしょうか。反対に、自分の正しさを目の前に置くと、人が足らんように、人がおかしいように思えて、非難します。これでは、関係が気まずくなって殺伐とした荒れ地を行くような人生を歩むことになってゆくことでしょう。
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