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このように生きてゆこうではないか!
ピリピ3:12~14

12私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。13兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、14キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

人生を、マラソンにたとえて、「このように生きてゆこうではないか」と聖書は勧めています。

(1)天国というゴールめざして、生きてゆこうではないか。(ピリピ3:14)

(2)最後まで、耐え忍んで走りぬこうではないかと勧めています。過去の信仰者たちがそうでした。最後まで、辛抱して走りぬくためには、どうしたらよいのかを、ヘブル12:1~3で教えてくれています。

ヘブル12:1~3

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

(3)自分のペースで走りぬいてゆこうではないかと勧めています。神は、預言者ダニエルに向かって、あなたは、あなたらしく生きなさい、と勧めています。人と比べないで、自分らしく生き抜いていきましょう。
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ピリピ3:13~14

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

聖書は、人生についてどう教えているだろうか。

(1)マラソン競技にたとえている。パウロ先生も、神の栄冠を得るためにひたすら走っていると言っている。

(2)花にたとえている。

マタイ6:28~30

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。


花はみな、置かれた所で、自分に与えられた花の色を、上を向いて、精一杯咲かせています。

(3)家にたとえている。
マタイ7:24~25

だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

イエス様は、家を指差しながら、土台が大事であると話された。その土台は、弟子のペテロが言った、「あなたこそ、活ける神の子キリスト(救い主)です」。この方こそ、我々の人生を支えてくださる、堅固な土台です。
合言葉
ピリピ4:11

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。


私たちが無事、天国にたどり着くために、また、有益な人生を歩むために、神は合言葉を与えてくれています。それは、主イエスにあって!足るを知る。「足るを知る」ですから、様々な人生の営みから学習してゆくのです。

二つ目は、主イエスにあって!無駄でない!です。

第一コリント15:58

ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

汗水たらして労苦したことが、一つも無駄にならないということは、嬉しいことです。主が必ず報いてくださるという約束です。

三つ目は、主イエスにあって!益となる!です。

ローマ8:28

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。


過ち多き人間、失敗しなかった人は一人もいない私たちにとって、すべてを益に変えてくださるということは、破格の恵みです。
クリスチャンの三つの基本認識
ピリピ3:13
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

1)我々は、神によって生かされている被造物である。
命を、私物化してはいけない。

2)天国が、目的地である.
後の世に持っていけない物の為に、一生懸命になるな。

3) 未来の審判の時に備えよ。
この時に信仰者の幸いと不信仰者の災いが明らかになる。

《ちょっと一言》

 放蕩の心とは、自分の気持ちの方を大切にして相手の気持ちをないがしろにする心である。      
 ある娘さんに、ルカ15章の放蕩息子の話をした時、「その男の人、情けない人ね。自分が勝手に出て来たんやから、私やったら死んでも帰らんわ」と言われた。
 そのことを、ある先生に話すと「それが放蕩の心なんだよ」と教えられた。「自分はそれで良いかも知れないが、親の気持ちを考えてごらんなさい」と。
 自分なんかいないほうが、親の為になるという思い。
 つくづくと我心にある放蕩の心を悲しむ。
知っているとお得です
ピリピ2:4~5
4自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。5あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。

(1) 5節、文語訳「キリストの心を心とせよ」。キリストの心とは、謙遜です。人のことを思いやる心です。生活の場で、キリストの心で仕えていきましょう。

(2) 私たちの目標は、神の栄冠を得ることです。

ピリピ3:13~14
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。

 この一事に、一心に。ひたむきさがゴールにつながるのです。 

(3)私たちの人生の動力は、キリストからきます。 

ピリピ4:12~13
私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

 パウロは、私を強くしてくださる神の力によって、どんなことでもできると言っています。これは、パウロだけのものでなく、キリストを信じるすべての人にあてはまることです。
 その力の供給は、どこからくるのでしょうか?4:9で神の無限の富からくるのだと教えています。 

ピリピ4:9
あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
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