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神のつえ
出エジプト4:2
主は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」彼は答えた。「杖です。」

 生きるということは、さまざまの問題があり、障害にぶつかると言うことなのですが、その中でわたしたちの心を支え、悩みを乗り越えていく力となるものは何かということですが。
 モーセは、困難に向かって行くのに、神のつえだけを手にして、大勝利を得ました。
 神のつえというのは、神が共にいて下さるということ、神の約束された言葉であります。我々の人生を根底から支えて下さるのは、この神のつえだけだと思います。
 もう一つ教えられることは、我々の命が、神の手の中に在るということを知る時に、長く生きることよりいかに生きるかを考えてゆくと思う。

《ちょっと一言》

第ニコリント7:10
神のみ心に添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

 「まあ良いか」とよくつぶやいている自分。
 これは己のまずさを肯定している姿で、少しも良くならない。
 常に「まずかったなあ」と反省するようになると、私も、少しは成長するのではと思っている。
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パンが天から降る
出エジプト16:29

主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれの自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。」


 ここで学ぶ第一のことは、神は現在の我々の置かれている所の状態を良くご存じである、ということだ。人の力の及ばない荒野では、神は、奇蹟を行なって助けて下さる。しかし、今豊かな産物の取れる地に居る人は、すでに与えられている物によって生きるように願っておられる。
 次に、このマナは、一日に一日分だけ与えられました。これは、我々が神を信頼して生きる時、必ず困難に対しての助けの備え、助けの力が与えられる、ということです。
 そして、29節に、「心せよ」とあるが、この与えられた休みの日を、私利私欲の為に使う者は、その生涯は必ず徒労に終わる。しかし、命のもとなる神と豊かに交わる者は日々、新たなる力を受けて満足なる生涯となる。安息日を聖として心して守ろうとする者は、その前日、二日分のパンが与えられているという神の奇蹟を見るでしょう。

《ちょっと一言》

ヘブル13:5

わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。


 全く見知らぬ人から「孤立惑で悩んでいる」と泣きながらのお電話を頂いた。そういう孤独は誰でも、一度や二度は味わったことがあると思う。その孤独を安易な方法で埋めようとする。その人も「本音で生きないほうが良いのでしょうか」と問うていた。しかし、孤独の隣に居られる愛なる神を知る時、人は、孤独が癒やされて、今度は相手にぬくもりを与える者とされると私は思う。
天の配剤
出エジプト16:1~5
 ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野に入った。そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
 主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。六日目に、彼らが持って来た物を整える場合、日ごとに集める分の二倍とする。」

 父なる神は、我々を、ご自分のかたちに似せておつくりになりました。(創世記1:26ー注1)
一緒に仲良く暮らすためでありました。愛と信頼関係が結べる霊的な存在としてです。
神は人のために、すばらしい環境をまず先に作られました。人が住むために、生活するためにふさわしい快適な環境であります。自然をおつくりになったとき、光を良しと見られた(創1:4ー注2)。「神はそれを見て良しとされた」(創1:12,18,21,25-注3)。最後に人を作られた。そして、「非常に良かった。」(創1:31-注4)

 しかし、アダムとエバは、サタンに誘惑されて、神にそむきました。エデンの園を追い出されました。聖なる神は人を愛されていますので、罪に汚れたままの状態で永遠に生きないようにとのご配慮で、命の木があるエデンの園から遠ざけられました。

 父なる神は、人をこよなく愛されていますので、いつの時代にも変わらぬ愛、永遠の愛でもって、人を幸せにしたいと、神の思いやりという天の配剤をもって、ご自分を現わしておられます。

天の配剤

(1) 自然界をもって、神の愛をお示しくださっている。
美しい花々を見よ。広い海、高い山々、夜空の星。夏は水分の多い果物、スイカ。冬は栄養分がいっぱいのジャガイモ、サツマイモ。暑い夏を迎えるために、梅雨がある。

ー止揚学園の『良い天気ありがとう』という本よりー
重い知恵遅れのマリ子さんが、7月半ばにお祈りで、「今日は、とても良い天気、ありがとう」と言いました。大雨が降っているときでした。
「川も魚も喜んでます。田んぼも畑も喜んでます。草も木も花も喜んでいます。山も琵琶湖も喜んでいます。東京の人も(水不足で困っていた)私も喜んでいます。神さま、本当にありがとう」

 私たちは、視界の狭い、自分の生活の、目先のことに大概とらわれて、知らず知らず生活していますので、自分にとって都合がよろしくない雨が続くと、洗濯物が乾かない、うっとうしいなあー、とついつい愚痴が出る。
 仕方がないのかもしれませんが、父なる神は、全世界的な、全国的な配剤をもって、やがて来る夏のために梅雨を与えてくださっていると思います。

 もう少し、視界を広くしてみましょう。もう少し、視点を遠くに置くことで、マリ子さんのように、温かさが生まれるのではないかと思います。

(2) 生活への配剤
マタイ6:25~34
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物より大切なもの、からだは着物より大切なものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、私はあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、このような花一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

 神とご一緒に生活されましたら、我々、人が生活してゆくための必要(衣食住)をことごとく満たされます。
出エジプト16:15~18
イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。主が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。』」そこで、イスラエル人はそのとおりにした。ある者は多く、ある者は少なく集めた。しかし、彼らがオメルでそれを計ってみると、多く集めた者も余ることはなく、少なく集めた者も足りないことはなかった。各自は自分の食べる分だけ集めたのである。

一回、一日分ずつ、必要な分が必ず満たされた。7日目の安息日には、その前日、二日分のマナが与えられた。しかも、腐ることはなかった。神の配剤であることを知る。 神は、人をつくられた方ですので、一生、責任を持って面倒を見てくださるお方です。40年間の荒野の生活で、着物も、サンダルも、擦り切れることはありませんでした。水も、果物も与えられました。

(3) 内なる人(霊的な存在、私の魂)への配剤
詩116:8
まことに、あなたは私のたましいを死から、
私の目を涙から、
私の足をつまずきから、救い出されました。

1)永遠の滅びからの救い
2)私の目を涙から(涙:悔し涙、悲しみの涙、痛みの涙、苦しみの涙、つらい涙)
3)私の足をつまずき(罠)から
この世の誘惑、金銭、異性(性的)、高ぶり

IIIヨハネ2
 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
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朝の15分があなたを変える
出エジプト34:2~3
朝までに準備をし、朝シナイ山に登って、その山の頂でわたしの前に立て。だれも、あなたといっしょに登ってはならない。また、だれも、山のどこにも姿を見せてはならない。また、羊や牛であっても、その山のふもとで草を食べていてはならない。」

これは、イスラエル民族の大指導者であったモーセが、シナイという荒野の中にそびえたっているシナイ山のふもとに、民と共にとどまっていたとき、神がモーセに語りかけた御言葉なのです。
 
 神はモーセに、「一人で山に登ってきなさい。誰もお前と共に登ってはならない」と命じられました。そして、命じられたとおりにするモーセ。神は、御顔を向けられ、御声をかけられて話をされている(5節:注1)。その結果、主のみ旨がわかり、そして、モーセの顔は神の光を放っていた。人々は、神と会ったのだなあーと知り、神を畏れ、モーセを尊敬し、モーセに託された神の言葉を真剣に聞いたのです(30節:注2)

 ここに、自分自身を魅力的な者に変える秘訣があると思います。榎本保郎牧師は、失敗をよくし、イライラし、すぐ人を裁いてしまう自分自身がいやになり、本気で自分を変えたいと思いました。そんな折、「朝の15分があなたを変える」という信仰良書と出会い、まず5分間聖書を読み、次に5分間霊的書物を読み、最後の5分は祈りました。

 モーセに神は、朝のうちに山頂に登って来なさい、と命令されています。

① 早朝に神の前に出ることが、神の祝福を受けるポイントです。

② モーセは、山の頂で神の前に立つように命じられました。
モーセは神と語るために、手放せない色々な問題からどうしても一時手を引いて、この恵みの山の頂まで登らねばなりませんでした。山の頂まで行くには、時間がかかります。 やはり、日常生活が始まるまでに、朝早めに起きて、神のみ声を聞くために山に登っていかなくてはなりません。

③ モーセは朝までに備えをして、山に登るように命じられました。
神の前に出るには準備が必要だということです。
早起きするためには、早く休むことです。優先順位を決めておくことが大事です。神の国とその義を第一に求めましょう。
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