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これで元気ハツラツ!
第一列王18:16~39

そこで、オバデヤは行ってアハブに会い、彼に告げたので、アハブはエリヤに会うためにやって来た。アハブがエリヤを見るや、アハブは彼に言った。「これはおまえか。イスラエルを煩わすもの。」エリヤは言った。「私はイスラエルを煩わしません。あなたとあなたの父の家こそそうです。現にあなたがたは主の命令を捨て、あなたはバアルのあとについています。さあ、今、人をやって、カルメル山の私のところに、全イスラエルと、イゼベルの食卓につく四百五十人のバアルの預言者と、四百人のアシュラの預言者とを集めなさい。」
そこで、アハブはイスラエルのすべての人に使いをやり、預言者たちをカルメル山に集めた。エリヤはみなの前に進み出て言った。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。そこで、エリヤは民に向かって言った。「私ひとりが主の預言者として残っている。しかし、バアルの預言者は四百五十人だ。彼らは、私たちのために、二頭の雄牛を用意せよ。彼らは自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂き、たきぎの上に載せよ。彼らは火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにして、たきぎの上に載せ、火をつけないでおく。あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい」と言った。
エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたがたで一頭の雄牛を選び、あなたがたのほうからまず始めよ。人数が多いのだから。あなたがたの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない。」そこで、彼らは与えられた雄牛を取ってそれを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んで言った。「バアルよ。私たちに答えてください。」しかし、何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちの造った祭壇のあたりを、踊り回った。真昼になると、エリヤは彼らをあざけって言った。「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席をはずしているか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう。」彼らはますます大きな声で呼ばわり、彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた。このようにして、昼も過ぎ、ささげ物をささげる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった。
エリヤが民全体に、「私のそばに近寄りなさい」と言ったので、民はみな彼に近寄った。それから、彼はこわれていた主の祭壇を建て直した。エリヤは、主がかつて、「あなたの名はイスラエルとなる」と言われたヤコブの子らの部族の数にしたがって十二の石を取った。その石で彼は主の名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の回りに、二セアの種を入れるほどのみぞを掘った。ついで彼は、たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ、「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ」と命じた。ついで「それを二度せよ」と言ったので、彼らは二度そうした。そのうえに、彼は、「三度せよ」と言ったので、彼らは三度そうした。水は祭壇の回りに流れ出した。彼はみぞにも水これをを満たした。
ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。


日ごろ、色々なことで、ばて気味な者も、厳しい世の中を生き抜くのに困窮している私たちも、聖書の勧めるこれを飲めば元気ハツラツになります。

(1)態度をはっきりとすること。

「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。

天地の造り主につくのか、バアルという当時の新興宗教につくのかハッキリすること。自分の人生を支えてくれる確かな方に生涯ついていきましょう。

(2)こわれている神との関係・人との関係をなおすこと。天から火を降す神こそ生きておられるまことの神です。火というのは、勢い・力を示します。火が降るために、預言者エリヤがしたことは、崩れていた祭壇をなおすことでした。我々もこわれている関係をなおせば、勢いよく火は降ります。
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主は生きておられる
I列王17:1~16

ギルアデのティシュべの出のティシュべ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」それから、彼に次のような主のことばがあった。「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。しかし、しばらくすると、その川がかれた。その地方に雨が降らなかったからである。
すると、彼に次のような主のことばがあった。「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少し水を持って来て、私に飲ませてください。」彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持ってきてください。」彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」エリヤは彼女に言った。「恐れてはなりません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。」イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。


私たちの信仰が日常生活の中であまりパッとしないのは、個人的な主との生ける体験がないからではないだろうか?また、何か問題が起こって、つまずいたりするのは、主は生きておられるという実感を味わったことがないから、信仰を失うと思う。日々の生活の中で信仰の訓練をしよう。神の約束のことばを握って。

〈ちょっと一言〉

人から注意されたとき、いじけるタイプと、心から反省して、よくなるように、ひたむきに努力するタイプとがある。私は自分の気持ちに正直になっていじける方であるが、こういう人間には進歩がなく、人から愛想をつかされる。いじける者は、大損をする。
生きることに疲れ果てた人へ
第一列王19:1~8

アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい」と言った。彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入ったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。それから、主の使いがもう一度戻ってきて、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と言った。そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。


昔も今も、生きることは、しんどいことが多いので、疲れてしまうときがあると思います。ここに記されている、預言者エリヤもそうでした。人を恐れて、荒野に逃げたのです。人は、人を恐れてマイナス思考になるときがある。人は、荒野を通って、孤独と無力感を感じるときがある。そして、生きるより死んだ方が楽だと思うときがある。生きることに疲れた人へ。

(1) 神は、あなたに生きよと願われている。

(2) 神が特別な食べ物を用意して、エリヤを元気づけた。この食べ物は、聖書です。

(3) あなたにしかできない使命があるということです。

第一列王19:15

主は彼に仰せられた。「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油をそそいで、アラムの王とせよ。

さあ、行け、それをしなさい、が繰り返されている。
神の人エリヤ
第1列王記18:30

 エリヤが民全体に、「私のそばに近寄りなさい」と言ったので、民はみな彼に近寄った。それから、彼はこわれていた主の祭壇を建て直した。

 エリヤは、その生涯において、常に御名の崇められることを心がけた人でした。そのことのために、

1)根の生活を大切にした。

2)こわれた祭壇を建て直した。

3)心が低い人

1列王19:3~4

彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」


〈ちょっと一言〉

(自己愛)
 近頃、自分の年が55だったのか、56になったのかよく忘れる。そこで考えると、もう56だったと思い、つぎに、今年はもう57になるのかと知ると、なんだか妙に心細くなる。このまま、こんな感じで年をとってゆくのかと思うと、あせりと不安を感じる。ある老人の死・・・妻なく、子なく、金もなし、はい、サヨナラ・・・と公園のベンチで死んでいた。なんだか妙に淋しい。髪も薄くなってきているが信仰も薄くなってきているせいかナァ?? 無理にでも御言葉を心にこじ入れる私。
(ある朝の独白)
エリヤの祈りに学ぶ
第一列王18:1、41-46 

 1それから、かなりたって、三年目に、次のような主のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」

 41それから、エリヤはアハブに言った。「上って行って飲み食いしなさい。激しい大雨の音がするから。」42そこで、アハブは飲み食いするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。43それから、彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」若い者は上って、見て来て、「何もありません」と言った。すると、エリヤが言った。「七たびくり返しなさい。」44七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています」と言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」45しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗ってイズレエルへ行った。46主の手がエリヤの上に下ったので、彼は腰をからげてイズレエルの入口までアハブの前を走って行った。


 神が答えられる祈りに学びます。

(1)神の約束に基づいた折りです。18:1. なぜ、私たちは祈るのでしょう。神が「私を呼べ」と語られているからです。

(2)確信の祈りです。 18:41. 答えられたと確信して、行動しています。

(3)へりくだった祈りです。18:42. 跪いて(しもべの態度です)

(4)ー生懸命の祈りです。18:43. 手ほどの雲が見えるまで、熱心に折り続けています。

(5)豊かに答えられた祈りです。18:45. 約束通り、天は、大雨を降らせ、カラカラの地を豊かに潤したのです。そして、地は、実を実らせたとヤコプ5:17-18.(注)に書かれている通りです。
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