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いい人生を送りたい人へ
第一ヨハネ1:1~7

初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、―このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。― 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。
神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。


人って、聞くもの、見るもの、触るものに影響されて生きていると思います。キリストの弟子のヨハネは、怒りっぽい性格でした。しかし、キリストと一緒に暮らす間に、愛の人に変えられてゆきました。
どんな人も、イエス・キリストを信じ受け入れ、この方との交わりを深めてゆけば、ヨハネが変えられたように、愛の人に変えられてゆくと思います。なぜ、イエス様と交わりを深めてゆけば、愛の人に変えられてゆくのでしょうか。それは、この方は、命の源なる創造主だからです。命は、あったかいです。だから、この方に聞き、見、触れてゆきますと、ぬくもりある人に変えられてゆくのです。
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これでいこう!
第一ヨハネ4:7~11

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

武田の軍勢は、風林火山の旗のもと、戦っていったわけです。私たちの人生に掲げる旗は何でしょうか。これでいこう!

(1) 愛です。

雅歌2:4

あの方は私を酒宴の席に伴われました。
私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。

神は愛なる方です。我々も、人を愛して生きましょう。

(2) 祈りです。

ヤコブ5:13~18

あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六ヶ月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。

この中に、祈りという言葉が8回もあります。祈りは、私たちの人生の力となります。

(3) 感謝です。

エペソ5:19~20

詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

朝のスタートから、主に向かって、賛美すると、神があなたを輝かせてくださいます。一度試してみてください。
第一ヨハネ4:9~10

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。


罪から来る報酬は死であると聖書は告げている。死とは分離を意味する。愛なる神、創造主と分離された状態をいう。
人は罪を犯した結果、神のおられない状態で永遠に、闇の中で生き続けなければならない運命なのですが…たった一つ救いの道が備えられました。
イエス・キリストの贖罪のゆえに、罪赦される道です。

〈ちょっと一言〉
クラーク博士は「青年よ、キリストにありて大志を抱け」と言われたが…己の名を高めるための野心ではなくて、「この小さな兄弟にしたのは私にしたのです」と言われたイエス様を想っての聖なる大志を抱いて、生命の限り、ひたむきに進みましょう。
第一ヨハネ4:7~21

 する者たち。私たちは、互いにし合いましょう。は神から出ているのです。のある者はみな神から生まれ、神を知っています。のない者に、神はわかりません。なぜなら神はだからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいるものは神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛するものは、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。


 神は愛です。そして、その愛は喜びを生み出します。愛されていないことは、不安ですが、愛されていることは喜びです。このいつまでも変わらない喜びはどこから与えられるのでしょうか。うつろいやすい環境から、心がわりしやすい人からではなく、いつまでも変わらず命を捨ててまで愛して下さった神様を信じるところから与えられるのです。そして、この喜びは誰も奪い取ることはできません。

《ちょっと一言》

 桜井先生が『救いを受けていなくても、礼拝を守る、賛美歌を歌う、祈るという宗教生活はできるかもしれないが、神に自分の罪が赦されたという信仰生活はできない』と、こんな意味のことを言われたと思う。明日生きるという保障のない我々である、先のことを心配しないで、今「私をお許し下さい」と信仰生活の始めをもつ決断が必要ではないでしょうか。

第ニコリント6

今は恵みの時、今は救いの日です。

ここに愛がある
第一ヨハネ4:10
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 自分勝手な世の中、争いごとの多い世の中、憎しみと恨みの渦巻く世の中を見ていると、生きているのが嫌になるが、しかし、愛の姿を見た時、人の心に望みが溢れてくる。愛とは、人を活かすもの。
 わたしたちを命を捨ててまで愛してくれた御方はイエス様だけ。この愛を知った者は、どんな暗闇の中でも、明るく希望を持って生きることができる。

〈ちょっと一言)

箴言16:18
高ぶりは破滅に先立つ

 人に注意されて、腹が立つのと情けなく思うのとは全く違うとある人が言っていたが、確かに、前者は己を義と思っているので腹が立ち、後者は、己のたらなさまずさを思っているので、情けなく思うのであろう。常に自己反省をしたいものである。
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