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人間関係をよくするために
コロサイ4:6

あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。


生きる上で辛いことが一杯あるが、人間関係において悩むことが大半を占めていると思う。我々の痛み、苦しみ、悩みをよくご存知の御神は、我々が幸せに暮らせるようにと、人間関係をよくするよい薬をくださっている。

(1)相手を追い詰めてしまわないこと。逃れの場所を空けておく。

民数記35:10~13

あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地に入るとき、あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。この町々は、あなたがたが復讐する者から、のがれる所で、殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないためである。

(2) 塩味のきいた親切なことばを話せるように努めること。(コロサイ4:6)

(3) 相手をほめること。パウロ先生もこのよい薬を使っています。

ピリピ4:1

そういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。

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目指せ!生活力UP!
コロサイ3:1~2

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。

イキイキと生きてゆく力は、どうしたら得られるのでしょうか。

(1)上にあるものを求めてゆくことです。神の国を継ぐことができる、永遠の命を求めて生きることです。永遠の命とは、イエス・キリストご自身です。ですから、主イエス様と対話しながら生きてゆくことが生活力となります。

(2)キリストの平和が自分を支配するということです。

コロサイ3:15

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

では、キリストの平和の心とは、どういう心でしょうか。それは、「ののしられてもののしり返さず、正しく裁かれる神にお任せになった」ということです。

(3)感謝の心を持つ人を目指せということです。(コロサイ3:15)
キリストを着なさい
コロサイ3:12~25
 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを、赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
 妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。不正を行う者は、自分が行った不正の報いを受けます。それには不公平な扱いはありません。

 何事も主に仕えるように、人に仕えることができたら、その人は、日常生活の中で、いつも、普段着としてキリストを着ている立派な人です。
 そして、心から「ありがとう」と「すみません」が言えたなら、人間関係の達人です。
 そんな人になるためには、キリストの愛を一杯受けておかなくてはなりません。

〈ちょっと一言〉
 「バラはバラの悲しみのために花となり、青き枝葉のかげに悩める」 若山牧水
 この詩を知って、はっとさせられた。バラは美の王者であると思っていたから、悲しみとか悩めるという表現を使っている詩人の胸のうちの苦悩の深さに驚いた。この詩人も人生の涙の谷を通ってきた人だと思う。私も何事も詩人の繊細な心で見つめる努力をしたい。
ことば
コロサイ4:6
あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。

 聖書は、ことばというものに重きをおいています。神と人とをつなぐものもことばであるならば(ヨハネ1章参照―注)、人と人とをつなぐのもことばです。では聖書は、どんな言葉をつかいなさいと教えているのでしょうか。

(1)親切で塩味のきいた言葉をつかいなさい。(コロサイ4:6)

(2)溢れるばかりに感謝しなさい。(コロサイ2:6~7)
 あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。

(3)人の徳を養うのに役立つ言葉をつかいなさい。(エペソ4:29)
  悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。

 ヤコブ書で、ことばで失敗をしない人はいないと断言しているように、我々、不完全な者は、数多<言葉で失敗をするものです。だからこそ、上の3つのことを心に思い浮かべながら、聖書に従いたいと、自分を制してゆきたいと思います。

(注)ヨハネ1:1
 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
教会の礎
コロサイ1:18
また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。

 わたしたち一人一人は、偶然にこの教会に来たのではなくて、神が、この教会に、あなたが必要だと、ここに置かれたのです。あなた一人が欠けても、教会本来の姿が失われます。キリストを頭とした身体の自覚を持ち、それぞれ、与えられた賜物を用いて仕え合いましょう。

《ちょっと一言》

 私は、己の弱さを知らないから、相手の弱さがわからず、気遣いができない、自己過信がある。
 私は、己の罪深さを知らないから、高慢になって相手を責めてしまう。自分を義としてしまう者である。
 「ちょっと一言」に書いてあることを、自らの問いに答えて身に染みて守っていたら、自分という者に見切りをつけてもっと謙虚に生きてゆけたのではと、後悔している。

ルカ6:41
あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。

 この言葉が私の心にいつもこだましていたらなあ。  
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