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ナオミの人生に学ぶ
ルツ1:1~5

さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。

この世の生活は、苦しいこと、つらいことが多いです。ナオミの人生もそうでした。飢饉があり、やむなく異郷の地で暮らさねばなりませんでした。しかも、ご主人を亡くし、息子二人まで、続けて亡くすという辛酸をなめなければなりませんでした。このように苦しみが続く中でも、ナオミは、自分がいる所をできるだけ居心地良くするように努めています。それゆえに、嫁二人とは、とても仲の良い関係を築けています。二つ目は、小さな信仰の灯りであったかもしれませんが、ともかくも、主の守り、助けを待ち望んで生活したことです。その信仰生活が、苦しみの多い人生を支え、後に記されているような、くしき神のみわざを味わう経験につながったのです。
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雲の上には太陽が
ルツ1:1~18

さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、ナオミの夫のエリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。
そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。二人はナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。わたしは年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。
ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。

天地を造られたまことの神を信じる家族が、ベツレヘムに住んでいました。4人家族です。神を信じていても、問題や悩み、苦しみはつきものです。飢饉があって、隣国のモアブに行かなければならなくなりました。その地で夫が死に、息子二人が相次いで死にました。言葉にならない苦しみを、ナオミは、経験しました。神を恨む気持ちを持ちながらも、それでも、その神にすがりつく信仰を持っていたようです。
それがあるゆえに、ナオミは、守られ、支えられ、晩年は信じられないほどの幸いを得たのです。今、太陽が見えない長雨の中を通っている方もおられるかもしれません。しかし、いつも雲の上には太陽があるということを覚えて、今を耐え忍びたいと思います。
はからずも
ルツ2:1~3
 ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった。モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで」と言った。ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落穂を拾い集めたが、それは、はからずも、エリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。

 聖書に、「神のなさることは、みなその時にかなって美しい」とあるが、まさにそのとおりで、神は、弱さを覚えている私たちのために一秒の狂いもなく、素晴らしい愛のお取り計らいをしてくださる。
 ルツが、はからずも行って働いた所が、何と後に自分の夫となるボアズの畑であったとは・・・
 神の御摂理の素晴らしさをほめたたえる。

〈ちょっと一言〉
 それを理解していることと、それに生きていることとは違う。真理を知っていても、それに生きていなかったら、何の力ともならない。イエスが十字架にかかられたことを知っていても、それだけでは傍観者と同じで、その人に何の力にもならない。しかし、それが私の罪を赦すためだと、心で悟った人は、最大の生きる力を得たことになる。そして、その愛に生きるようになる。
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