スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
一人の責任
士師記6:11~15

さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。主の使いが彼に現れて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」ギデオンはその御使いに言った。「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『主は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。今、主は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡されました。」すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」

自分の弱さを知っている私たちは、私一人ぐらいがやっても、何の力の足しにもならないのではないかと、やらない先から諦めていることが多いと思います。しかし、「まず、私から」一人の責任を良心に従って果たすべきではないかと思います。そこに、神の国の働きは前進してゆくのですから。

〈ちょっと一言〉

「己の果たすべき義務を人にやらせることは、悪魔の喜ぶところなり」 マルチン・ルター
あなたでないとできないこと、あなたでないと意味がないことなのに、その責任を取らないで逃げることは、あなたの人間性をダメにしてゆくと思う。
勇気を持って、己の為すべき善を為すべし。
スポンサーサイト
Copyright © 人生と聖書. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。