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黄金律
マタイ7:12

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

自分がしてほしいことは、相手も、そう望んでいるのです。自分が傷ついたことは、相手も傷つくのです。
この黄金律を守るために、
1)心の日記帳に痛みを刻んでおく
2)孤独の場を作る
3)注意深く聞く
4)受けた恩をいつも覚えておく
これらのことを覚えて、日々実践してゆきましょう。

(ちょっと一言)
ある本に、バベルの塔を建設していた人々の心の中を、傲慢と利己主義が占領したとき、言葉に混乱を起こし相通じなくなり、その企ては崩壊したと。現代でも、同じ日本人でも傲慢と利己心を持って対話しても通じないのは納得できる・・・と。気をつけたし。
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心に刻んでほしいこと
イザヤ46:3~4

わたしに聞け、
ヤコブの家と、イスラエルの家の
すべての残りの者よ。
胎内にいる時からになわれており、
生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、
わたしは同じようにする。
あなたがたがしらがになっても、
わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。


神のあなたへの面倒見のよさは、あなたが生まれる前から、墓場のかなたまでも、ずっとです。私たちの人生の下には、神の手の支えが常にあります。そこで今日は、神の手を心に刻んでほしいと思います。
第一に、育みの手です。聖書に書いてあるとおりです。
第二に、釘あとのある手です。あなたの犯した罪を赦し、永遠の滅びという牢獄から救い出すために、十字架にかかってお苦しみを受けられた釘あとのある手です。
第三は、全能の手です。年をとって力がなくなり、よぼよぼになっても、大丈夫、心配は要りません。なぜなら、神があなたを背負うと約束してくださっているからです。神にうんと甘えたらいいのです。
幸せに生きられる秘訣
マタイ5:45

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。


このみことばのように、天から見つめるやさしい天の父なる神がいます。この方が、こうしたら幸せになれますよ、と教えてくださいました。
一つ目は、人のために生きることです。
マタイ7:12

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。


二つ目は、いいこと探しをすることです。
ピリピ4:8

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。


まず、今を受け入れることから始めましょう。次に、隣人のいいところを探しましょう。
三つ目は、ありがとう!を口癖にすることです。聖書は、すべてのことを感謝しなさい!と勧めています。ありがとうと感じる心は、生きるためのバッテリーです。
かけがえのないあなた
ヨハネ9:1~9

またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。近所の人たちや、前に彼が物ごいをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」 ほかの人は、「これはその人だ」と言い、またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ」と言った。当人は、「私がその人です」と言った。


生まれつきの盲人という大変重いことばが、出だしに記されています。今、世界人口65億人。65通りの生まれ方、生き様があるわけです。みなオリジナルです。大いなる神が意図したとしか考えられません。
生まれつきの盲人は不幸ですか? 反対に、目が見えるから幸せですか? 奇跡の人、ヘレン・ケラーは、救われたとき、こう言っています。「目が見えるか見えないかは問題ではありません。大切なことは、心に光を持つことです」 言うまでもなく、この「光」というのは、世の光として来られたキリストのことです。全ての人は、大いなる知恵をお持ちの神が造られたかけがえのない存在です。あなたの存在自体が神の目には高価で尊いのです。あなたの代わりは、地球のどこを探してもいません。さあ、胸を張りましょう!
命見つめて
ルカ8:40~56

さて、イエスが帰られると、群衆は喜んで迎えた。みなイエスを待ちわびていたからである。するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。彼には12歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。イエスがお出かけになると、群衆がみもとに押し迫って来た。
ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。イエスは、「わたしにさわったのは、だれてすか」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです」と言った。しかし、イエスは、「だれかが、わたしにさわったのです。わたしから力が出て行くのを感じたのだから」と言われた。女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。そこで、イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」
イエスがまだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人が来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」これを聞いて、イエスは答えられた。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」イエスは家に入られたが、ペテロとヨハネとヤコブ、それに子どもの父と母のほかは、だれもいっしょに入ることをお許しにならなかった。人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑っていた。しかしイエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。」すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。両親がひどく驚いていると、イエスは、この出来事をだれにも話さないように命じられた。


この物語は、マタイ、マルコの福音書にも書かれています。父親ヤイロは、一人娘の命を見つめています。命を見つめることが真剣に生きることにつながります。人にとって、死は、どうしようもないことです。しかし、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は決して死ぬことはありません」と命の根源なるイエス・キリストは言われています。
永遠の神であるイエス・キリストを信じる者にとっては、死はなく、生があるのみです。このことにより慰めを得たいと思います。
この命を見つめますと、大事なものと、そうでないものとが見えてきます。いつまでも残るもの、それを大事にしていきたいと思います。
自らの問いに、自ら答えよ
ヨハネ5:1~9

その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、5つの回廊がついていた。その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。
ところが、その日は安息日であった。

人生に絶望し、自分に絶望している人のところに、主は来られて、「よくなりたいか?」と言われた。もし、私たちが、心の底から、よくなりたいのなら、主は必ず、我々を助けてよくしてくださるのです。主は、私たちの渇きに応じて答えてくださいます。本当に変わりたいのなら、その自らの問いに自ら答えて行く第一歩を踏み出しましょう。

〈ちょっと一言)
いじけることと落ち込むこととは違う。相手の愛を疑ったりする心、傲慢な心は、いじけるのです。そこには進歩はありません。けれど、自分に情けなくなり落ち込むことは望みがあり、成長します。お互い自問自答して、いじけはやめましょう。
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