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泣かなくてよい
ルカ7:11~15

それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大ぜいの人の群れがいっしょに行った。イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されたところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。そして近寄って、棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われた。すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。

ここに悲しみのどん底でうずくまって泣いている一人の婦人のことが記されています。つい最近、夫に先立たれ、今、一人息子を失って、そのなきがらの前をトボトボと歩く母親の嗚咽が聞こえてきそうな場面です。希望を失ったこの母親に、再び、望みを与えるために、救い主イエスは、来られました。
母親は、泣いています。また、主イエスも涙を流されました。あなたが苦しむとき、主もその苦しみをともに味わわれます。主は、「かわいそうに思い」―これは断腸の思いをもたれたということです。その思いをもって「泣かなくてもよい」と言われました。死からよみがえられた主は、死んだような魂の中にも来てくださり、よみがえらせてくださるのです。

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勝利ある人生のスタイル
第一サムエル17:36~40

このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。主があなたとともにおられるように。」サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着させた。頭には青銅のかぶとをかぶらせ、身にはよろいを着けさせた。ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯び、思い切って歩いてみた。慣れていなかったからである。それから、ダビデはサウルに言った。「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」ダビデはそれを脱ぎ、自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人に近づいた。

この世を生きるということは難しい戦いです。山あり谷ありです。それぞれの状況の中で、勝利してゆけるスタイルがあります。ここに登場しているダビデの生き方から学びたいと思います。人生の途上で、ゴリアテという困難と闘わなければなりません。ゴリアテは、イスラエルの兵士がみな、しり込みする大男でした。しかし、ダビデは、三つのスタイルで勝利しました。

(1)自分流。人のよろいを脱ぎ、羊飼いのスタイルで。

(2)自然流。武器は、川辺の石と自然の木(羊飼いの杖)を用いました。

(3)活ける神により頼む信仰流。万軍の主の御名により戦い、勝利しました。
ダビデの生涯から学ぶこと
詩篇23

主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


サムエル記のほとんどが、ダビデの生涯について書いています。神は、ダビデの生涯から、我々に学んでほしいのだと思います。

(1)ダビデは、主に愛された人物でした。我々も、主イエスが命を十字架で捨ててくださるほどに愛されています。

(2)信仰の深い人でした。ペリシテの大勇士ゴリアテと戦うとき、ダビデは、自分の力ではなく、万軍の主の名の力によって戦い、勝利しました。

(3)詩人でした。この詩篇23篇は、ダビデの作です。この詩を通して、どれほど多くの人が、慰められ、励ましを受けてきたことでしょう。

ダビデは、人生の中でどれほど苦しみ、悲しみを味わったことでしょうか。そこから生まれてきたのが、この詩篇です。苦しみは、無駄にはなりません。
目指せ!生活力UP!
コロサイ3:1~2

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。

イキイキと生きてゆく力は、どうしたら得られるのでしょうか。

(1)上にあるものを求めてゆくことです。神の国を継ぐことができる、永遠の命を求めて生きることです。永遠の命とは、イエス・キリストご自身です。ですから、主イエス様と対話しながら生きてゆくことが生活力となります。

(2)キリストの平和が自分を支配するということです。

コロサイ3:15

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

では、キリストの平和の心とは、どういう心でしょうか。それは、「ののしられてもののしり返さず、正しく裁かれる神にお任せになった」ということです。

(3)感謝の心を持つ人を目指せということです。(コロサイ3:15)
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