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あなたはとっても大切な人
イザヤ43:4

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。

少し昔、スマップが歌った、「世界に一つだけの花」という歌の歌詞に、「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」というところがあります。あなたの造り主なる神も、あなたのことを"very important person"と思ってくれています。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」といわれているとおりです。
神は言われています。「あなたは、ありのままでいい。あなたの存在そのものがわたしの喜びなのだよ」と。この思いを信じて、胸に抱いて、胸を張って歩んでまいりましょう。
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こんな石ころからでも
ルカ8:40~56

さて、イエスが帰られると、群衆は喜んで迎えた。みなイエスを待ちわびていたからである。するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。彼には十二歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。イエスがお出かけになると、群衆がみもとに押し迫って来た。
ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。イエスは、「わたしにさわったのは、だれてすか」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです」と言った。しかし、イエスは、「だれかが、わたしにさわったのです。わたしから力が出て行くのを感じたのだから」と言われた。女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。そこで、イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」
イエスがまだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人が来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」これを聞いて、イエスは答えられた。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」イエスは家に入られたが、ペテロとヨハネとヤコブ、それに子どもの父と母のほかは、だれもいっしょに入ることをお許しにならなかった。人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑っていた。しかしイエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。」すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。両親がひどく驚いていると、イエスは、この出来事をだれにも話さないように命じられた。


現実を見たとき、私など途方にくれることばかり。どうしてよいのかわからない問題が一杯ある。そんな時、神の約束から、現実を見るように訓練している。例えば、「こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことができる」と言われた。全能の主に頼って、問題が解決するのを忍耐強く待ち望みたい。
人事を尽くして、天命を待つ。

〈ちょっと一言〉

私たちの人柄とか、あるいは教会の色は、どういう色合いが良いのでしょうか。それは、キリストのカラーがいいと思うのです。みんなが、キリストの形に似たものになれば、ステキですね。(イザヤ書53章参照)
主に願いを
第一サムエル1:1~20

エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに、その名をエルカナというひとりの人がいた。この人はエロハムの子、順次さかのぼって、エリフの子、トフの子、エフライム人ツフの子であった。エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はぺニンナと言った。ぺニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。そこにはエリのふたりの息子、主の祭司ホフニとピハネスがいた。その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のぺニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。しかしハンナには、特別の受け分を与えていた。主は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。彼女を憎むぺニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ぺニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上のものではないのか。」
シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。そのとき、祭司エリは、主の宮の柱のそばの席にすわっていた。ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」
ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではいません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。
翌朝早く、彼らは主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。


私たちは生きてゆく中で色々な願いを持つ者です。ハンナにも願いがありました。夫が自分だけを愛してくれることでしたが、その願いは、むなしく地に落ちて、ぺニンナという人が、新しく夫の妻として家に入ってきました。自分には子どもができず、ぺニンナには、次から次へと子どもができました。そして、ぺニンナの陰湿な嫌がらせが続き、ハンナは孤独と失望感の中で、もう、頼るべきお方は、主しかいない、と心が定まったようです。これが、苦境の中で、最高の解決策です。
ハンナの主への願いは聞き届けられ、「聞かれる」という意味の「サムエル」が生まれました。みなさんも、心を注ぎだして、主に願うなら、主はあなたにも、待ち望んでいたサムエルを与えてくださることでしょう。
マリヤ
ルカ1:26~38

ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった.御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダヒデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。


クリスマスは、このマリヤの「イエス」から始まりました。マリヤの人生の中で最大の大きな決断の「はい」であったと思います。マリヤには、救い主の母として選ばれるだけの深い信仰がありました。その信仰を生涯持ち続けたことが、われらが学ぶ一つ目のことです。
二つ目は、マリヤは、神のことばに従順に従う謙遜な心を持っていたということです。「わたしは、主のはしためです。おことばどおりにこの身になりますように」と言っています。
三つ目は、マリヤは、自分の十字架を負い続けたことです。「あなたは、聖霊によって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい」との神のことばを受け入れることは、世間ではありえないことで、いいなずけのヨセフのあずかり知らないことですから、石打の死刑を覚悟しなければなりませんでした。
困難を克服する方法
ヨシュア6:1~7

エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。主はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」そこで、ヌンの子ヨシュアは祭司たちを呼び寄せ、彼らに言った。「契約の箱をかつぎなさい。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、主の箱の前を行かなければならない。」ついで、彼は民に言った。「進んで行き、あの町のまわりを回りなさい。武装した者たちは、主の箱の前を進みなさい。」

このエリコ城は、われらの前に立ちはだかる困難を示しています。ヨシュアとイスラエルの民は、このエリコ城を攻め落とすことができました。

(1)「自分が」の世界から、「主が」の世界に交代することです。キリストを主として生きることが勝利の秘訣です。

(2)神のことばに聞き従うことです。主のことばは、人には、「あほなことをする」と思われるようなことばでした。けれど、そのとおりにしましたから、エリコの城はくずれおちてしまいました。

(3)神を信じる心です。まだ、勝利していませんのに、民は、主が言われたように、勝どきの大声を上げました。その時、難攻不落のエリコ城は、くずれ落ちてしまい、民は、完全な勝利を得ました。
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