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日曜日の有益な過ごし方
ルカ6:5~10

そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」
別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに、右手のなえた人がいた。そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。イエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。


愛に満ちた神は、我々が祝福に満ちた人生を過ごせるようにと、安息の日、日曜日を設けてくださいました。聖書は、この日をどのように過ごしなさいと勧めているでしょうか。

(1) 教会に行って礼拝を守るように勧めています。我らの主イエス様も会堂に入って、神の国について、お話をされています。

(2) 礼拝を守ると、主イエス様が、我々をリフレッシュしてくださいます。礼拝に出席していた人の中に、利き腕が使えなくなってしまって、失望落胆している人がいました。主は、その人を癒やされ、再び、生きる力を与えられたのです。
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どん底の人生から立ち上がった男
創世記37:1~11

ヤコブは、父が一時滞在していた地、カナンの地に住んでいた。これはヤコブの歴史である。
ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。
あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです」と言った。ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。

どん底の人生から立ち上がった男とは、ヨセフのことです。創世記は、50章あります。37章からヨセフ物語は始まり、四分の一を占めています。重要なのがわかります。ヨセフ17歳の時。
(1)自己中心で、自慢しいの罪人でした。その生意気さが、兄たちの恨みを買い、ひどい目にあわせられます。兄たちから乱暴を受け、空井戸に投げ落とされました。その空井戸で、ヨセフは、悔い改め、創造主なる神を信じ、頼る者になりました。
(2)この空井戸の底が、ヨセフの人生のターニング・ポイントとなりました。困難・苦しみは続きますが、神が、共にいまして、ヨセフを守り、助けました。ヨセフは、平安でした。
人間関係をよくするために
コロサイ4:6

あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。


生きる上で辛いことが一杯あるが、人間関係において悩むことが大半を占めていると思う。我々の痛み、苦しみ、悩みをよくご存知の御神は、我々が幸せに暮らせるようにと、人間関係をよくするよい薬をくださっている。

(1)相手を追い詰めてしまわないこと。逃れの場所を空けておく。

民数記35:10~13

あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地に入るとき、あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。この町々は、あなたがたが復讐する者から、のがれる所で、殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないためである。

(2) 塩味のきいた親切なことばを話せるように努めること。(コロサイ4:6)

(3) 相手をほめること。パウロ先生もこのよい薬を使っています。

ピリピ4:1

そういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。

創世記5:1~5

これはアダムの歴史の記録である。
神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。アダムは百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。アダムはセツを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。

人間にとって、一番大事なものは命です。命について、聖書はどう教えているのでしょうか。私たちは、生まれてくる場所も、性別も才能も体形も両親も、神によって決められてこの世に存在しているものです。神に生かされている命です。この与えられた命は、神の創造の目的に沿って歩むことが人生の本分です。

(1)愛に生きることです。
(2)命は命を負うものです。ガラテヤ書に、「互いの重荷を負い合いなさい」とあります。
(3)命は他者に影響を与えてゆきます。よい影響を与える生き方をしたいものです。
幸いなるかな心の貧しき者
創世記1:26~31

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。


心の貧しき者とは、心が神の恵みとか助けが必要だと知っているへりくだった魂のことである。
心と物において、いつも貧しさに徹しておくということが、感謝にあふれる生活を送れる秘訣であると思う。

〈ちょっと一言〉

ある本に、「人間の見方は、目に見える頭の善し悪しで判断するのではなく、目に見えない心の在り方で判断するべきです」と書いてあったが、本当にこのことは大切で、主も「人はうわべを見るが、主は心を見られる」と言われている。
人の値打ちは、心の優しさである。
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