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イエスを仰ぎ見るべし
ヘブル12:2

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。


私たちの罪深い行為は、全て心の表れであります。もし、私たちが本当にきよい生活をし、思いやり深い人になりたいという渇きがあるなら、きよい生涯、愛の生涯を全うされたキリストを常に、心の目で見つめておくことだと思います。そのときに、聖霊の働きによって、栄光から栄光へと、キリストの形まで変えられてゆきます。

〈ちょっと一言〉

心が怠け者の人は、伸びない。いつも楽な方へ流れてゆくからである。反対に、心が注意深い人は、成長して立派な働きをする人になれる。
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電信柱に花が咲く
マルコ11:12~14

翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」弟子たちはこれを聞いていた。

マルコ11:20~23

朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

人は、自分を変えられるでしょうか?あるいは、変わってほしいと思うその人を変えることができるでしょうか?それは、無理です。けれど、私たちを造られたお方は、私たちを変えることがおできになります。そこに、希望があります。主は、イチジクの木を枯らすことによって、そのことを教えようとされました。根っこまで枯らすことのおできになる方は、根っこまで枯れている人を生き返らせることがおできになります。死んで4日もたっているラザロを生き返らせることができたイエスは、あなたを、あなたの願っているその人を良きに変えることができます。ただ、主は私たちに「信じるか!?」と問われているのです。神を信じることが神の恵みの世界を体験できる鍵です。
涙を越えて
詩篇121

私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、
あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、
まどろむこともなく、眠ることもない。

主は、あなたを守る方。
主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、
夜も、月が、あなたを打つことがない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、
今よりとこしえまでも守られる。

 
私たちの人生には、嵐が吹くときがあります。辛い涙の谷を通るときがあります。しかし、恐れないでください。愛に満ちた神が、困難とともに、困難を乗り越える力を与えてくださるからです。私たちの助けは、天と地を造られた神から必ず来ます。神は、困難を通して三つのことを教えてくださいます。

(1)この世のものは、みな過ぎてゆく一時的なものです。だから、永遠に続く天国を慕いなさい、ということです。

(2)その困難によって、私たちの品性が培われてゆき、豊かな稔りある人生につながってゆけるということです。

(3)その苦しみを通して、神が身近になってくるということです。
心うきうきハッピー
ヨハネ4:3~30

主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」―ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである― イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにはならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから。わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」
このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。 「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。


心うきうきハッピーの気持ちになったのは、ひとりの女性がイエス様と出会った結果です。イエス様と出会う前の彼女の心は、心どんよりメランコリーでした。それは、無理もないことで、いい人生を送りたいと頑張って生きてきましたが、失敗ばかり、失望ばかり、挫折の連続でした。彼女が外側ばかり見つめて生きてきた結果です。主イエスは、人を真に幸せにするのは、外側を見つめないで、内側に永遠の命の泉を持つことだよ、と諭されました。メシヤである私が来たのは、汲めども尽きない喜びの泉、平安の泉を与えるためだと語られ、そのことを受け入れた彼女は、新しく生まれ変わったのです。あなたも、イエスを受け入れてみませんか?
悩んでいるあなたへ
第二列王記5:1~14

アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。この人は勇士で、ツァラアトに冒されていた。アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていたが、その女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。」それで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王にあてて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。彼はイスラエルの王あての次のような手紙を持って行った。「さて、この手紙があなたに届きましたら、実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のツァラアトを直してくださいますように。」イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の服を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、ツァラアトを直せと言う。しかし、考えてみなさい。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」
神の人エリシャは、イスラエルの王が服を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人をやって言った。「あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。彼を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入り口に立った。エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。


頑張っても、頑張っても、人生どうにもならないときがありますし、真面目にコツコツ苦労を積み重ねてきても、思わぬことが起きて、その道がふさがってしまうときがあるものです。このところに登場するナアマンも、悩みの中にありました。何もかもそろっていても、ひとつの問題がある。それが大きな陰を落としていたのです。ナアマンが悩んでいることを、神が気にかけ、救いの道を用意されて、働きかけてくださいました。ナアマンは、だめでもともとと、ともかくも、一歩踏み出しました。その思いが救いの神の言葉に向いたとき、ナアマンは救われ、平安と喜びを持つに至ったのです。あなたを造られた御神は、あなたの人生に将来と希望と平安を与えてくださいます。
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