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この3つの「合う」で悩み多き人生を乗り切ろう!
ヨハネ16:33

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

イエス様は、悩み多き人生を送らねばならない我々に、このように生きなさいと勧めておられます。

(1)互いに仕え合って生きなさい。

ヨハネ13:14

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

このように勧められるイエス様ご自身が、しもべの姿を取って、まず弟子たちの足をお洗いになりました。

(2) 互いに愛し合いなさい。

ヨハネ13:34

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

主は、私たちの身代わりになって十字架に命を投げ出されました。私たちも、主の愛を受けた者同士、互いに愛し合って暮らしましょう。

(3)互いに支え合って生きなさい。

ヨハネ17:21~23

それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。


主は、私たちが仲良く暮らせるようにお祈りされています。「人」という漢字は支え合っています。我らも、支え合って暮らしましょう。
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こんな父がいる
ルカ12:6~7

五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。


人間関係で傷つき、くじけそうになる私たちに、主イエスは「天にはこんな父がおられる」ということを教えてくださっています。

(1)一羽の雀にさえ心を留められる父がいる。雀一羽では、商品にならない値打ちのないものということです。

(2)あなたのことを片時も忘れない父がいる。「母親が、乳飲み子を忘れようか。その母親が忘れても、私はあなたを忘れない」と言われています。

(3)あなたのことを高価で尊いと思っていてくださる父がいる。できる、できないでなく、存在自体を喜んでくださるお方です。
わたしは門です
ヨハネ10:9

わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。

こんな自己紹介を聞いたことがありません。イエス様はご自分のことを、「わたしは、門です」と言われました。イエス様という門を通って入りますと、3つの恵みをいただけるのです。

(1)救いを受けます。この「救い」というのは、永遠のいのちを受けると言うことです。

第一ヨハネ5:11~13

そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
私が神の御子を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

(2)安らかな心を持って生きることができるということです。ストレス、イライラがたまる時代、この安らかな気持ちで生きられるなんて嬉しいではありませんか。

(3)豊かな牧草を見つけることができるということです。つまり、充実した人生を送れるということです。牧草は、羊にとってなくてはならないものです。牧草は、生きる力を示します。主は我らに、日々、新しい力をお与えくださいます。
人生のお手本
第一サムエル2:26

一方、少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。

人には、良きお手本が必要です。あの人のように自分も生きてゆきたい、というようなお手本が必要だと思います。ここに登場するサムエルも、私たちの良きお手本になると思います。なぜなら、彼は、神にも人にも愛されたと記されているからです。神にも人にも愛される人柄は、どのようにして培われてきたのでしょうか。

(1)「祈りの膝を持っていた」からだと思います。

第一サムエル7:9

サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。

(2)「清い手を持っていた」からだと思います。

第一サムエル12:2~4

今、見なさい。王はあなたがたの先に立って歩んでいる。この私は年をとり、髪も白くなった。それに私の息子たちは、あなたがたとともにいるようになった。私は若い時から今日まで、あなたがたの先に立って歩んだ。さあ、今、主の前、油そそがれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを苦しめ、だれかを迫害しただろうか。だれかの手からわいろを取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、私はあなたがたにお返しする。」彼らは言った。「あなたは私たちを苦しめたことも、迫害したことも、人の手から何かを取ったこともありません。」

(3)「遠くを見る目を持っていた」からだと思います。

第一サムエル19:20

そこでサウルはダビデを捕らえようと使者たちを遣わした。彼らは、預言者の一団が予言しており、サムエルがその監督をする者として立っているのを見た。そのとき、神の霊がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。

将来を見据えて、預言者を育成していました。
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